ふるさと探訪 菅沼氏を探る秋の散策
2023年10月31日
つくらんと!つくで!主催の歴史講座第2回目は、野外へ飛び出してまさに歩くふるさと探訪となりました。
今回の主役は、山家三方衆の一豪族「菅沼氏」。
全国の菅沼姓の95%がこの地区の出だとも言われる「作手菅沼」を巡ります。
つくで田舎レストランすがもりを発着所とし、菅沼城跡と菩提寺である楽法寺に向かって出かけました。
菅沼城ははじめ、上菅沼の字名「前田」という所にあって、そちらを本城と呼んだそうです。
現在の下菅沼の墓地になっている所に移った「菅沼古城」とも呼ばれる方には遺跡が見て取れるため、そちらを見学しました。
土塁跡や堀跡などの説明を受けて、実際にその場を歩き、高台に立って戦いの場に思いを馳せた参加者たちでした。
「東側に大手門、今の墓地あたりが二の丸、その上の広場が本丸であると推測されます。」
生田さんの説明を聞き、周りの木々が無い状態を想像しながらあたり一面を見まわすと、ほう、なかなかいい眺め!
高さも広さも十分にあり、たぶん麓が湿地だったと思うと、攻守ともに優れた山城だったことが伺えました。
城跡を見た後は、下へ下って、西側にある楽法寺へ行きました。
火災で建て替えているお寺ですが、唯一免れて昔のままだという門をくぐって、両脇にある石仏を見た後、本堂へお邪魔しました。
広い本堂の南側の天井には、大洞山へ通った時に使ったというお篭が吊るされていました。
門の上にも、焼香台の下にも、菅沼氏の家紋を見ることができました。
一番奥の位牌堂の上には見事な天井絵、本堂の隅には十王堂がありました。
死者は33回忌まで十王様一人一人に生前のあり様を裁判されるそうですよ。
しばらく中の仏具なども見させてもらって、見返り川沿いを歩いて帰って来ました。
謎が多いとされる「菅沼氏」。
水田が多く、米も水も豊富な作手をどうして出ていったのか、その後どういう動きをしたのか、ますます興味をそそるふるさと探訪となりました。